権利条約に向けての国連の動き
国連の障害者権利条約に、日本政府も3年後ぐらいを目途に批准するために施策を検討しています。国連に批准すると国内の法律を変えることは難しくなります。今までに批准している外国の場合、それぞれの国の内情もあり国内法をあまり変えないで、とりあえず批准してから国内法を変える作業をしていく国と、批准の後に国内法を変えていくのは難しいので国内法をしっかり見直し批准をする国に分かれていますが、しっかり国内法を見直してから批准をする国が多いようです。
今なぜ「障害者権利条約」なのかといえば、1948年に世界人権宣言以来、国連で採択された7つの人権条約(世界人権宣言・人種差別撤廃条約・国際人権規約・女性差別撤廃条約・拷問等禁止条約・子どもの権利条約・すべての移住労働者と家族の権利保護に関する国際条約)は、私たち障害者にとって実質的な促進と保護にあまり役立つものではありませんでした。それは「医学モデル」を中心にした考え方で、障害を個人の特質としてきたことにあり、私たちの権利を極めて限定的にしか捉えてこなかったという反省の下に、世界の障害者及び関係者の不断の努力が実って、日本政府もやっと重い腰を上げることになったと思います。
つまり、障害の無い人たちに保障されて来た権利を、障害のある人にも実質的に保障しなさいと世界が認めたものといえます。私たちの周りには様々なバリアが存在しています。医学的モデルでは、他人の2倍も3倍も努力して非障害者に近づいていきました。それが出来なかった障害者は社会の隅に置き去りにされてきました。一歩街に出かけると、街の中にも様々なバリアがあります。エレベーターの無い駅、車いすでも利用できるトイレの無い建物に溢れています。歩道の無い道路は視覚障害者や車いすの人には、危険と隣り合わせで生活しているのが現状であります。国連の障害者権利条約では、「他の者との平等を基礎として」という言葉が何度も繰り返されていますが、それは「合理的配慮」によって私たち障害者の権利を実質的に保障しなさいと、社会に強く迫ったものが障害者権利条約であります。
このように「障害者権利条約」は、社会が、政府が「障害がどんなに重くても、生まれてきて良かった。生きていて良かった」といえる実質的社会を保障しなければならないというものです。
そこで、政府も国連の権利条約を翻訳したものを発表しました(外務省仮訳)。条約を批准するためには、障害者に関するすべての法律をこの条約にあうように変えなければなりません。」ただし政府は国内法をあまり変えたくないので国連の条約を都合のよいように解釈するおそれがあります。そこでJDFも障害者の立場から条文を作成しています。他に日本弁護士会も作成しています。
ここで国連の今までの動きについて簡単に説明しておきます。
2001年12月に開催された第56回国連総会でメキシコ提案の「障害者の権利及び尊厳を保護・促進するための包括的総合的な国際条約に関する諸提案について検討するため、すべての国連加盟国及び国連オブザーバーに開かれた「アドホック(特別)委員会」の設置を決定する決議」が採択されました。この決定は特別委員会が「諸提案を検討する」ことに言及した決議であり「条約を作成する決定」ではありません。2002年7月に第1回目が開催され、この委員会に障害者団体が参加することが決定されました。そして全体の3割が障害者自身であるNGO代表で構成され発言権を獲得したことは画期的なことでありました。この特別委員会は8回開催され権利条約の草案が出来上がり、2006年12月に開催された第61回国連総会で採択されました。2007年10月までに世界各国116ケ国が署名し、日本政府も114ケ国目として9月に署名しました。
その後、日本政府とJDF日本障害フォーラム(以下JDFという。加盟団体は、身体障害者・盲人会・ろうあ連盟・手をつなぐ育成会・脊髄損傷者・社会福祉協議会・精神病者団体など、全国の障害者団体が加入)との意見交換会が12回、国内セミナー等が11回行われております。一方で、国連障害者の権利条約推進議員連盟が超党派で発足され8回の意見交換会が開催されています。